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2013/03/18

昨日の話 ぽの


昨日は前にぱみなさんが紹介していたTOHOシネマズ学生映画祭と(こっちは映画関係ないですが)最近ちょっと気になっていたアーティストの日食なつこさんのライブに行って来ました。昨日歩きまわりすぎて超疲れたのでいっぱい寝てしまった…。
映画祭は14時から始まって20時までと、かなりの長丁場お疲れ様でした。(ボクは18時ころに出てしまいましたが…)今回も作品のクオリティが高くて、どれも見入ってしまい、そんなに長さを感じませんでした。最後までいられなかったんですがどの方の作品がグランプリだったんでしょうか…。気になります…。そんなこんなで昨日は文化堪能な一日で、お台場、渋谷と大移動をしてきたんですよー。疲れました…。
なんか一日ですごい刺激うけましたし、いろいろ考えて、なんとなくいままで頭のなかでバラバラだったものが繋がったような感じがするんで雑にまとめていきますねー。風が強い。


短歌の時代感覚の話

今月の月刊誌「短歌」の「現代を映す歌 秀歌の「時代感覚」とは何か」っていう特集が面白かったんですよー。

のっけからジャンルがぶっ飛びますがちゃんとつながりますんで安心してください。「時代感覚」について鋭く切り取った短歌を紹介しながら論評してるんです。かいつまんで説明すると、同じテーマを詠んだ作品でも、時代によって選ばれる言葉も含意の幅も違うよねって内容なんですけど、面白いなと思ったことが二つあるんです。
ひとつは、特集のタイトルにもある通り短歌って「映す」ものなんですね。まあ短歌について詳しいわけではないのでそれがすべてとは言い切れないですが、月刊誌の特集タイトルにもなるくらいなんだから、短歌の大きな目的というか機能は、ある程度は「映すこと」なんだとおもうんです。たぶん「映画引く映像引く音」で出てきたものを因数分解した時どこかに短歌があると思うんですという言い方をするとあれ、なんですがまあどこかでは目的を同じくしている部分があるんでしょう。

それに加えてもうひとつですが、短歌ってたぶん表現としてかなりミニマムなものですよね。(俳句があるじゃないかってなりますが俳句については勉強不足でまた違う目的性とか機能とかがあるのかもないのかもわからないし「短歌」の特集を読んでの考えなので今回は短歌で進めます。)たった31文字の中でもいろんな表現が、というと月並みですが、短歌くらいにミニマムな表現の中で何気なく取り上げたモチーフにでさえ時代感覚、いいかえるとその時代に漂う空気感、例えば今の時代だとなんとなくどんよりとした後ろ向きの空気とか、って、そこに作者が意識的か無意識的かにかかわらず反映されてしまうんだなと思ったんです。いわんや映画をやですよね。例えばビールの缶、例えば1Kのアパート、というそれだけのモチーフでもその時の時代感覚を大きくて語るところがありますよね。

で今の時代の空気感って具体的にどんなんだろうという流れで宿命論の話に続きます。


宿命論の話

はじめに紹介ですが、ここ一年くらい文化系トークラジオLifeっていうTBSラジオの番組を聞いているんですがそれがすごい面白くて、放課後の部室感というコンセプトのもとに大学の教授やらライターさんやら編集者さんやらが毎月決められた文化系テーマについて堅すぎず緩すぎずの雰囲気で一晩中語るっていう内容です。

で、そう昨日お台場に向かう電車の中でそのLifeの1月放送分の「友達の作り方」っていう回をあれ、ぜんぶで5時間くらいあるんで暇つぶしにちょうどいいかなと聞きながら行ったんですけど、その中で少しですが「宿命論」について扱っていたんです。
これもかいつまんで説明すると今の日本の若い人たちには、明るい未来を思い浮かべて、と言うよりは良きも悪きも生まれて持った人智の及ばない所で規定される宿命的な何かを受け入れて生きるという「諦めの同調」の価値観が広がっているんだそうです。これについては前から授業とかでよく聞くんで知ってはいたんですが、文化的な刺激を多く受けて色々と考えた昨日、移動中にたまたまこの放送を聞いたことで、時代の当事者としてこれについて考えてみたんですが、やっぱり今の時代感覚ってこの宿命論的価値観なんだと思うんです。

物事を成し遂げようとするときにその達成までのハードルを上げている「何か」が社会的要因として存在しているように感じます。その「何か」が「そんなもの変えられるわけがない」という根拠不明の意識を支えているように思えます。根拠不明と言うと、例えば「経済的に厳しいから」とか、出てくるとは思うんですけど、じゃあなんで経済的に厳しいのか、というように問題を因数分解していった時にどこかでそれ以上理由が答えられない、つまり素数が出てくると思うんですよ。その素数こそが根拠不明の意識であって、このサイズが大きくなっているということが、物事を成し遂げようとするときにその達成までのハードルを上げている「何か」の正体であって宿命主義の肝だと思うんです。

で、ちょっと長くなっちゃったんですが、例にもれず自分も社会の申し子なので「だからって出来ない事は出来ないでしょ」ですので、まあこの問題の解決方法についてはどうでもいいんです。
何が言いたいかというと、とにかくさっきも言ったようにこの「宿命論」が自分たちの世代の多くがともに共有できる日本の時代感覚なんだろうということです。ということで次の没入の話につながっていきます。



没入の話

映画を見るときに求めることっていろいろあると思うんですが、メインは没入感だと思うんですよ。それにも二種類のものがあると思っていて、ひとつは全く自分とは相容れない他人が見せてくれる新鮮な世界への没入で、もうひとつは共感による没入、つまり感情移入ですね。もちろん映画によっては双方が交じるものも多いとおもいますが感情がより大きく動かされるのはやっぱり後者ですね。いずれにせよ見るときは主人公なり出演者なりに自分を重ねて感じたい、で、作る側視点でも作品の質がどうあれ、それを誘うような工夫をしますよね。
それで、そのときにさっきから繰り返している「時代感覚」っていうものはその有効なきっかけになる思うんです。つまり、たとえ映画内の登場人物が自分と全く違う感覚の持ち主だったとしても、時代感覚を共有させることで感情移入の間口というか移入ししろをひろげるというテクニックがあるんだと思うんです。

ここで少し脱線するんですが、ボクは洋画がダメなんですよね。なんか全く見ていられないんです。たぶんそういう人ってたまにいると思うんですよ。それについてもこの観点からなんとなく合点がいくように思うんですけど、自分が映画を見るときに求めているものってやっぱり没入感でなおかつたぶんそのときに手がかりにしているものの大部分がこの時代感覚なんですね。で、映画が始まった時にその観点から没入への入口を探すんですよ。でも洋画は国も文化も違って、そういう入口っていくら探してもないんですよ。だから洋画を見てもはじかれる感じがするし実感としてマジでスクリーンなり画面なりが板以上のなにものでもなく感じてしまうんですよね。


宿命論が没入のきっかけの話 学生映画祭の運命系作品 桐島 ソラニンからダメジンへ

ここで話を戻します。ここまでの流れを振り返ると
表現って時代感覚を汲みとるよね → 今の時代感覚ってなんだろう=宿命論 → 時代感覚って映画に関しては没入の有効なきっかけになるよね
って感じです。
ここでは具体的にそれを感じたことについて書いていきますが、学生映画祭では「運命を背負って受け入れて」、「諦め」をテーマにしていると解釈できる作品がノミネートされていることが多い気がします。今回のTOHOシネマズ学生映画祭でもありました。それってたぶんこの社会の気運の読み取っているからであって、なおかつ作り手と選び手が同世代という学生映画祭だからこそ、なおさらその受供のタッグが強力に結びついての傾向だと思うんですがどうなんでしょう。
それから、いつの間にか無意識のうちにみんなが「ある」と思ってしまい、なおかつそれがなぜか「変えられないもの」だと思い込んでしまうという学内階層、いわゆる「スクールカースト」を取り上げた「桐島部活やめるってよ」が日本アカデミー賞をとったのもこの時代の気運を鋭敏に読み取っての結果なのではないでしょうか。急に説得力が上がってきますよね。
何が言いたいかというと社会的にも時代感覚を鋭く反映した作品が評価されているんだなと改めて具体的に実感したということです。


好きな作品

それと、なんとなく今までばらばらに好きだなと思っていた作品が繋がったような気もするんです。
自分は好きな作品を挙げるときにはだいたい三木聡作品を挙げているんですが、一番感情移入ができるのはやっぱり三木孝浩監督の「ソラニン」なんですよね。で三木聡監督の作品ってコメディだし、単純にネタが好きってところもあるんだけどよくよく考えてみるとベースにあるのは「諦め」なんですね。漠然とした不安の中でそれを受け入れて諦めて生きていかなくちゃいけない。その不安を抱えつつもだらだら生きていこうっていうのが「ダメジン」であって、諦めの中でなんとかなるよととりあえず受け入れるのがソラニンと、基礎の部分で語っていることは「時代感覚」という考えを通して共通しているんだなあとわかったんです。
それで日食なつこさんのライブにも行ってきたと言ったと思うんですが、前から知ってはいたんですが最近この方が気になった理由に関してもそれが割と当てはまって、最初から意識していたわけではないんですけど、この方の曲が伝えていることってまさにそれなんですよ。「いろいろな不安が多い時代だけどそれは運命だからいろいろ文句はあるけどそれも受け入れて生きていかないと」っていう部分に無意識的に共感している部分があったんですね。他にも曲調とか本人の雰囲気とか色々好きになる要因はあるんですが。
ライブは超良かったですよ。久々に泣きそうになりましたー。なつこさん超カッコ良かったです。

とにかく昨日は自分の作品の楽しみ方つまりどう映画に没入するのかのやり方とか、好きなものの中にある共通項とかいろいろと見出すこと多くて勉強になった一日でした。


だらだらかいていたらすごい長くなってしまった…。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...
このコメントはブログの管理者によって削除されました。
ギュリ さんのコメント...

今更ながらですけど
今の自分の考えの大きな基礎になりました

アイドルの歌詞にも表れてて面白いですよ

90年代のモー娘。LOVEマシーンで歌われた日本は世界がうらやむ恋に輝く世界だった

それが今では、AKB48が歌う恋チュンでは「未来はそんな悪くないよ」

アイドルの歌詞にさえ現れる、根源的な無意識にぶらさがった諦念の感覚
超おもしろい 心のエレクションすな